2008年1月24日木曜日

回想4

この時期になると学生の関心はインカレに向かっているようだ。Webでいろんな学生が個々の思いを書き込んでいるのが見れる。時代は確実に変化した。


インカレ
私はインカレに熱くなった記憶が無い。むしろ、自分にとっては、全日本の方が価値が高く思っていた。リレーが無かった事もあるのかもしれない。


1年のときはインカレと言う事は知らずに参加していた。なにしろ先輩からは”大会があるからおいで”としか聞いていなかった。雨だった。参加して競技が終わると皆があつまって大学ごとに自己紹介が始まった。これをみて”何か学連の行事なんだな”位にしか思わなかった。


2年のときは、強いて言えばこの時が一番思い入れが強かったような気がする。インカレ創世記の一番の危機であった。インカレの準備が途中で白紙になり、その後新体制から、なんと3ヶ月で開催してしまったのだ。もちろんO-CADなど無い時代である。プロマッパーだっていない。各大学OBが正月休みを返上して調査に入った。その情報が運営に関わっている本校OBから入って来る。私のような一学生クラブ員には何も手を出せない。そのような方々の苦労に報いるためにもいい加減な気持ちや姿勢でインカレには望めないなと強く思った。これは卒業するまで変わらなかった。また同学年の村越君が、途中からコンパスなしで、2位以下に15分以上の大差をつけて圧勝したのはものすごいインパクトだった。インカレの後の講習会もかなりインパクトがあった。もともと関東学連内の講習会だったのが、インカレで日本中の大学が集まるのでそれに合わせてやってしまおうという、話の勢いで決まってしまった。幸か不幸か私は役員担当だったのだ。この時全国のいろんな学生オリエンティアと交流を持てたのはその後のオリエンテーリング人生に大きい影響を与えた。宴会も圧巻であった。いや”宴会”と言う物を初めて体験したのだ。鼻からビールを飲むはめになったのもこのお陰だ。


3年のときは、なんとか選手権のメンバーに滑り込めたが、前日雨の中をトレコースを回っている最中転倒して左膝を強打した。おかげで膝をテーピングでぐるぐる巻きにして、足を引きずりながら走るはめになった。でもこれがなくても順位もタイムもあんまり変わんなかったと思う。この時も思い入れはそれほど強くなった。和助君が3位に入り大幅に貯金を作ってくれたお陰で我が大学は5位に入った。なので赤字を出した自分としては他の大学の出来事のような感じで割と冷めた気持ちであった。


さあいよいよ残す所最終学年となった。自分の目標は、自分の順位云々ではなく、如何に後輩に繋げられる結果が出せるかであった。確かに秋位までは調子が良かったし周りの大学や自分の大学も”今年の法政はいいとこ行くんじゃないの”と言われていたが私は”それはないな”と感じていた。前回が5位でそれより良い所って4・3・2。。。えっ?表彰台かい??いくらなんでもありえない。軽く考え過ぎだと感じていた。個人的な順位でいけば良くて20位あたり程度だろうと思っていたしそれで充分だった(昔から欲がない。。。)。これは今成績表をみても決して無理ではなかたっと思っている。
しかし秋から冬にかけて体調が下降し始めた。具体的には腰周辺の違和感と抜けない疲労感。年が明けても体調は変わらず、むしろ悪くなって行く一方だった。なにしろ足に力が入らない。当然病院に行って検査を受けたが何の異常もないと言われ思わず”そんなはずないだろ!!”と怒鳴りたくなってしまった。もらっても効き目の無いビタミン剤と消炎剤。。。何の役に立つんだ!!そうこうしているうちに、どんどん本番は近づいて来る。一向に回復のメドは見えない。最後の方では7・8Km程度の軽いJogでも息切れして走れなくなってしまった。慢性的な疲労にも陥ってしまった。
インカレの会場へ向かう時の気持ちは非常に憂鬱であった。途中でつぶれてしまうのが分かっていたからだ。いままでそうだったものが、突然本番で直るなんてあり得ない。しかしメンバーを交代する気もなかった。そんな状態でもまだ自分が走った方が、大学としては、ましだった。とにかくスタート地点に立ちスタートした。序盤はテレインの平坦な部分を使っていたのでダメージは少なかったがラジオコントロールを通過していよいよ山部へはいる。途中にロングレッグが2つあったが、私はここでオリエンテーリング人生で一番悔いの残るルートチョイスをしてしまった。ミスルートとは分かっていたが足へのダメージを考えるとそうせざるを得なかった。それが正しかったかどうか。。。結論はやはり間違いであった。現に今こうして後悔しているのだから。
レースも後半に入るといよいよ足がおかしくなって来た。走る前からガチガチだったハムストリングが痙攣を起こし始めた。途中数分立ち止まり、伸ばしながら唸っていた。終盤10分後の和助君が追いついて来た。うむ?、ここまでかかると言う事は彼も本調子ではなかった様だ。
ゴールした後は何の感情も湧いてこなかった。ただ疲れただけだった。とにかくもう大学の名前をしょってインカレを走る事は二度と来ない。終わった。確かに思いは全く熱くなかったが、非常に気持ちが冷えきってしまった事も確かだった。何かを後輩に示したかったがなにも出来なかった。

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