2008年3月12日水曜日

地図が語るもの

名人達の作った地図の事で所属クラブ内で話合いがあった。
事の起こりはMapStudioで作成された某東京の公園地図データを都の協会から今主流のOCADへ変換するという話が出たのだ(某S公認大会で使用するため)。それについて某人物から”それはいい”と言う言う意見が出た。ここまではいいが、更に”私共でデータを預かってもいい”という旨の発言まで飛び出した。
多分この発言をした方は、悪意などあったわけではなく、軽い気持ちで発言されたのだと思う。しかしこれを耳にした、過去の地図作製に関わった方々から”ふざけんな!”という意見が出た。
この感情的な意見は現在の風潮の中ではどう受け取られるだろうか?
恐らく”そんなの別にいいじゃん。OCADにすれば皆が関われて、作業が楽になるのに・・・”というのが大方のの意見であろう。
しかしこの某公園地図、O-mapになるまで地道な努力を重ねて来たのだ。門前払いを喰らう事も何度もあり、とにかく事前交渉に苦労したのだ。その努力が実り、ようやく使用が許可になり調査・作図へとこぎ着けたのだ。迷オリエンティアごときでは言い表せない彼らの思い。
O-Mapはそんな事は語ることは出来ない。O-Mapが語るのは・・・あえて表現すればその場所の風景・情景であろう。
後からやって来た人間は”おっ!いいもんあるじゃん”で拾って行ってしまうが、人の思いまでは拾ってくれない。(確かに”この等高線に作者の熱い思いを感じる”なんて話あんまり聞いた事が無い)
都の協会作成の地図データを特定の人物やクラブが所持してしまうなんて果たした良いのだろうか?もっともいままでそんなことは”こうあるべき”という議論がされて来なかったので仕方なかったのかも知れない。今や紙ではなくデータとなってしまったので誰かが、何頭の形で、何処かで管理すべきであろう。そして修正履歴は記録をきちんと付け、不正に流用されないようにすべきである。
彼らの熱い思いはそのようにして”記録”として残してあげるべきではないだろうか?(法的な話を始めると話が更に膨らむので今日はここまで)
今回の事はそれに一石を投じる事になるかも知れない。

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