2008年11月13日木曜日

11月12日

最近まで知らなかったのだが「あの」東京国際女子マラソンが今年で終わりになると言う(http://tokyowomensmarathon.com/news/news0001.html)来年からは横浜で行われるらしい。
自分が学生の時に始まったこのレース、色んな名場面がある。
第1回の優勝者ジョイスミスはその後ロサンゼルスオリンッピクを47歳で完走した。彼女はレース中一度も「つば」を路上に吐かず、持っていたハンカチで拭いていた。道路を汚すのが嫌だったと言う。なんともイギリスの淑女らしい光景であった。(http://tokyowomensmarathon.com/results/1979/01.html
そういえば「あの」増田明美が復帰して日本人最高順位に入った時の光景も忘れられない。ゴールした彼女は、高校時代と変わらず、後ろ(今走ってきたトラック)を振り返りお辞儀をした。あの増田が帰ってきた。本当にここへ見に来て良かったと思ったっけ。(http://tokyowomensmarathon.com/results/1989/01.html
一番印象深いレースとなると、アトランタオリンピックの選考会になった時かな。集団が市ヶ谷の坂を上っているとき3?4名が、足がぶつかったのか、一緒になって転倒してしまった。その中にオリンピック候補の浅利純子選手がいた。普通ならこれで終わりと思う所である。ところが、なんと、競技場手前で先頭をいく原万里子選手に追いついたのだ。ものすごい追い上げである。しかもこれだけでは終わらなかった。
競技場に入って第二コーナー手前で原が猛スパーと。これで決まったと誰もが思っただろう。しかし浅利は諦めなかった。原も最後まで持たなかった。徐々に2人の距離が狭まり第4コーナーで浅利が抜き返し、そのままゴールのテープを切った。大逆転劇であった。(http://tokyowomensmarathon.com/results/1995/01.html
と、こんな事を色々思い出してしまう。日本女子マラソンの一つの時代の区切りであろうか。

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