2008年2月4日月曜日

回想5

回想を何回も書いていると何回目か分からなくなってきた。
今回は
地図「小金井公園」



オリエンテーリングを始めれば誰しもが”地図を作ってみたい”と考えるだろう。自分の場合も同じで、”欲求”よりも”好奇心”が強かった。
実際に作ったのは大学3年。2年の時に学連の仕事で地図調査はした事があった。しかしこの調査、何も評価されなかったので、調査内容が良かったのか悪かったのか判断がつかない。多分良くなかったのだろうと思う(大会の時あんまりポストを置いてくれなかった)。

なんせ3年になって”いっちょう作るか!”と決めて実際に動き出した。
この頃O-Mapの作成に関する本は1冊しかなかったのでとにかく隅から隅までよく読んでいた。でも所詮は文章は文章。実際にやってみないと色んな問題は見えて来ない。

まずベースになる国土基本図(1/2500)の調達。まず行ったのが渋谷の日本地図センター。ここにはなく(当たり前だ!)新宿の業者を紹介され早速買い込んで来た。

次に道具。ロットリングなどの道具を自前で調達。マイラーなんぞもどこで買ったら良いのかわからないので、確か、お茶の水までロールのものを買いに行った記憶がある。

そしていざ調査へ。確か夏休みだった。裸足にシューズを履いて調査をしたら下草で足がかぶれてしまった。それはともかく、とにかく調査が進まない進まない。とてもこの広大な公園を一人では調査しきれない事に気づいた。そこで同期の連中+後輩に割り振って調査を分担した。よく考えれば彼らだって調査の経験がない者が多いのでいい経験になったんではないだろうか。発想を変えるべきだった。さすが石の頭だ。そうやってなんとか夏休み中(だったかな?)に調査を終えた。

しかしながら調査基準の意思統一なんぞ十分できていなく(当然皆シロウトなんだから・・・)植生会なんぞ原図通りなぞったままとか・・・。自分自身も一番よく知っているつもりで、実は全くわけが分かっていなかった。ちょっと地面が道っぽくなっていたら全部道として取ってしまったりしていた。必要な情報の取捨選択がまるっきり出来ていなかった。

そしていよいよ作図。これがまた思った様にいかない。線一つ書いたりするのも指が震えてミミズ状態である。乾いてないインクの所を触ってしまったり、間違えた所をうまく消せなかったり。ともかく初めての事で思い通りに進まない。ついでに言うと全体の構成なんぞろくに考えていなかった。作図の進め方も本で読んだだけで、その通りうまく進むわけがない。楽しいとか大変とか思っている余裕が無かった記憶がある。こうして自宅の自分の机は1ヶ月程地図に占拠された。

絵が書き上がったら写植の文字とか色とかを決めた。いや決めたというより他で使っているような色にしてくれと、文化新聞でバイトしている、後輩に頼んだ記憶がある。いやはや全体の構成とか文字の大きさとか色合いとかもっともっと研究すべきだった。なにしろ早く現物が見たかったのだ。(よく考えたら皆から出資してもらったんだよな。こんなアバウトにやってたなんてばれたら非難囂々だったろう)

さて地図が出来た。何に使うか・・・これは構想としては学園祭でオリエンテーリングのイベントを行う事を兼ねてから考えていて、実際スコアオリエンテーリングを行った。やるとなったら参加者への商品のお菓子とか調達しに合羽橋(他に調達する物があったのでついでに)に行った。
学祭スコアの参加者集めには、そのころは”ぴちぴち”だった東洋の女の子にお願いにしたら、半ば脅しでメンバーを集めて来た。体連の連中や子供達、付き添いの大人達。地図を渡して直にスタートさせる分けにはいかず、地図の説明などをちょっくらやって、一応理解させてそれからやっと一斉スタート。
このあたりになってくるとさすがに記憶があいまいになって来る。でも参加者は楽しそうだったよ。それからOBの先輩に地図を見せたら驚いてたなぁ。

この小金井公園の地図はその後いくつかの大学で使ってくれた様だし、ナイトOL3日間大会でも使ってくれた。我が後輩達はずいぶん新歓で使ってくれたみたいだ。ついでに10周年記念誌の綴じ込みに使ってづいぶんさばけたようだ。
あれから4半世紀以上たって後輩が再調査することもなく、他のクラブが調査し直し版権はそちらに移ってしまった。
小金井公園はたまに行くが、行くたびにあの頃の光景が思い出される。私が大学3年でやった事は小金井公園の地図を作る事だけだったかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿